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執筆者の写真学生企画 希望創発センター

第16回 オンライン「対話すなっく」「大人ってなんだ?」

                     2020.10.2719:00~21:00 オンライン:Zoom

こんばんは。

今回ファシリテーターを務めさせて頂きました佐藤です。今回の「対話すなっく」の活動報告をします。

前回に引き続き対面での活動が自粛となっているため、Zoomを利用したオンラインの「対話すなっく」を行いました。

今回のテーマは「大人ってなんだ?」。私たち大学生は幼少期と比べれば、心も体も大きく成長しました。しかし、きっと大人になりきれてはいないはず。大人になるにはどうしたら良いのか、そもそも大人になるってなんだろうかという面に目を向け、話し合いました。

初めの問いは「大人になって(成長して)変わったこと」。次のような意見が出ました。

・お酒が飲めるようになった

=お酒を飲んでもよい体(年齢)になった

・煙草を吸う友人が増えた

・車を運転して良くなった

・成長が止まった。身長が伸びなくなった

・1人で旅行するようになった。今までは親同伴でないと

 できなかったが、それが単独でできるように。

・「もう大人なのだから」

寮を出たい!→経済面を自分でやりくりしていけるのか?

・周りの人があまり注意してくれなくなった

・バイトを任せられるようになった

・選挙に参加できるようになった

・辛い食べ物でもすぐ泣かなくなった

・興味を持つ対象が変わった。昔見ていたアニメは見なくなった

・はっちゃけられなくなった。わちゃわちゃ出来なくなった

羞恥心、プライド。「自分はこういう人間だ!」的な

・高校生を見て「若いなあ」と思うように。

 高校生→中学生は「こどもっぽい」??

・自由。お金、時間。欲望をすべてかなえられる!

→その分責任が伴うが・・・

・チケットが高くなった。お金を持っているとおもわれるから?

電車→幅をとるから?→大人が適正料金、こどもが安いだけ

・「すごい!」と言われるハードルが上がった。たいしたことでは褒められなくなった。

煙草、お酒、車など身体的・年齢的な面からの成長と、経済面での自立、羞恥心やプライドの発達、さらに伴ってくる責任など精神面での成長についてと大別できるのではないかと考えます。Seekersのメンバーはみな大学生・院生であるものの、年齢やここまでくるまでの経験はまったく違っています。だからこそ、どこからどこまでを『成長した』と捉えるかは人次第であり、かなり多角的に意見が上がったのではないかという印象を受けました。

次に、「大人になってよかったと思うこと/子供に戻りたいこと」。挙がった意見としては、次のようなものがありました。

・尊敬されることが増えた→子供に教えたりするときに還元できる!

・考えることがたくさんできるようになった!

他の人と考えをぶつけ合えるようになった!

・交友関係を自分で広められるようになった。

自分が参加したいこと、やりたいことに取り組めるようになった!

・無邪気に遊んでいる子供を見て、何も知らずに無心で遊んでいたいと思う

・もう一度高校野球をしたい!後輩がやっている姿を見て「うらやましい」

 目標に向かって努力する姿。→同じ目標に向かっていくことって最近なくなっている

・自分で何をするか(何をたべようとか)を選択できる!

・誰かの言いなりになって動かなくてよい!=自由になった!

・学生に戻りたい。制服があるので、毎日服を考えなくてよい!

・自分の世界を作れる!

自分でなにをするか決められる→制限要因に家族・親が入らなくなる

・何をすればよいか決められている、定まっているので取り組みやすい、楽だった。

 テスト→ここを勉強すればいい、とか

やはり大人になって自由度が増し、自らの力で考え動けるようになったのは大きな変化であると感じます。しかしながらその一方で、伴う責任の大きさやひとりで決めていかなくてはいけないことの負担など、大人になるのも一概に楽しいこととも言い切れないのかもしれません。


次に、「子供と大人の違い」について。結局のところ、「大人」あるいは「子供」とレッテルを貼られるその背景には何があるのでしょうか。次に記すのが挙がった意見です。

・責任感。言動ひとつひとつに責任を問われるようになる→ミスをしたら問題が起こる!

・見ている世界が違う。身長も勿論違うけれど、現状をとらえるための知識が違う。

大人になるとどうしてもバイアスがかかってくる

・純粋さ。大人はいろいろ考えてしまうけれど、子供は純粋な気持ちのまま言動に起こす。

 フィルターがかかっていない感じ。

・問題に対する答えの出し方。

算数→足し算だけじゃなくなってくる、他のやり方も習得できる!

・無邪気さ

・「こう発言したらどう思うだろうか」とか、大人は後々のことをいろいろ考えがち

・子供は先のことを考えない。大人は先のこと、将来のことまでいろいろ考える

・我慢が出来るか否か。我慢できた方が大人?

…ただ、それが良いというわけでもない、から大人が良いというわけでもない

・想像力。子供は発想に基づいた想像力、大人は経験に基づいた想像をするのではないか?

・他人のことを考えられるかどうか。考えたうえで動くようになった

・苦いものが好きになる=大人

・単純な大きさ

・年齢

・身体的な成長が止まった時。歯が全部生え変わった、身長が伸びなくなった

・禿げてきたとき。目が悪くなってきたとき。人間の成長とともに変わっていくことの一つ。

・誕生日を迎えたときのうれしさ。

子供ならとにかくうれしいけれど、大人は歳をとることを喜ばない

→プレゼントの求め方が変わってくる。大人の方が欲望として表れそう

・お年玉をもらうかもらわないか

・相手の身分・立場を気にするか否か

・時間の感じ方。高校生の1年と今の1年が全く違う。

「もう10月!?」って感じることが増えた

・体力と気力。結局大人の方が高い?気力は大人の方が高い?

・羞恥心があるかないか

・知識力

自分自身、ここ数年伝えたい思いをあらわすための言葉や例えとして用いたい慣用句が出てこなくなることが多くなり、以前と比べ語彙力が圧倒的に落ちたのではないかと感じていました。しかし、私たちは小学校や中学校などさまざまな場所において勉強し、考えることをしてきました。だから、自分の中で比較したときの知識量はきっと増え続けているはずで貯めこんできた多くの知識をうまく扱えずに、それらを収納したはずの引き出しが見つかりにくくなっているだけなのではないかと気づかされました。

ここで、「みんなが考えている大人って何歳くらいのこと?」という問いかけがあり、そこから以下のような意見が広がりました。

社会人の一部も子供だと思っている。一概には言えない?

ひとりの人間の中に子供と大人の二面性がある?

中には子供に戻れない人もいる→羞恥心の発達と関係?

・世代で分けるのか、ひとりの人の中で分けるのか

・幼稚園児までは100%こどもだと思う

→自分との会話、自分に刺さる言葉を言ってこない点

・子供に対して『こどもっぽい』とは言わない

→その表現をする前提として相手が大人であるというステージにいることを示している?

やはり何歳からを大人、何歳までを子供と明確にボーダー付けすることは出来ず、さまざまな視点により解釈されていることが分かりました。ただ、年齢的にみて確実に幼稚園児は子供だろうという考えや子供に『こどもっぽい』という表現を用いないといった点から、この識別は相対評価なのではないかと考えるようになりました。例えば、前者で言うならばある程度歳を重ねている自分の立場から見て身体的・精神的発達がまだまだ未熟な幼稚園児は「こどもである」と称するのが自然です。また後者では、だいたい近しい幼年の子供たちの集団の中でそのうち1人に対し「(より)こどもっぽい子だな」とレッテルを貼るのは容易なことではないと感じます。一方で、大人びた口調であったり周りを見ることのできる洞察力に長けていたりと、実年齢の幼さを感じさせない特徴を有しているならば周りとの差別化は容易であり、「おとなっぽいね」と評することになるのではないでしょうか。

また、人はだれしも場所や環境によってある程度表情を変える生き物なのではないかというのが持論です。例えば家庭の中においての『親』としての表情と、仕事の後輩に対する『先輩』としての立場、はたまた気心の知れた同期との飲み会での『旧友』の3つの立場があったとき、それらでの言動の中核となるものは類似しているかもしれませんが言動は大きく異なってくるのではないか、ということです。ここに基づくと、いち個人の中に「大人っぽい」面と「子供じみた」面の2つを有すのも頷けるのではないでしょうか。特段、人格分離といったわけでもなくごく当たり前に発現しうる特徴なのかもしれません。

ここまで、大人というものの本質や子供との違いについて意見交換してきました。では、実際なにが大人への第一歩を踏み出す因子となるのでしょうか。

次のテーマは「大人になるきっかけ」について。どんな経験を経て大人になるのか、或いはどういった経験を経て『大人になったな』と感じたのかについて話し合いました。

・18歳選挙権が施行された年に18歳になった

→選挙権を得られたこと=大人になれた!

・泣くたびにどんどん大人になっていく

←どんな涙でも。悲しいとき、うれしいとき、悔しいとき

・親のことをいたわったり、感謝したいと思ったりできるようになるとき

・人の幅が広がったとき。小学校の時は同学年の生徒数が少なくみんなの顔を知っていた

→中学・高校で人数が増えて考えることが多くなった。「こんな人もいるんだ」

関わり方が密になった。1人の人に対し深く付き合うようになった

・1人暮らしを始めたとき

・働いてお金をもらったとき

→働いてお金をもらう高校生でも、かかる責任は一緒!=大人と言える

バイトをしている=いち社会人として動かないといけない

実際、大人になったなと自覚するタイミングは人それぞれだと思います。例えば中学・高校時代を懐かしく思う瞬間であったり、誰かとケンカしたり映画を見て泣いたりと何かしらの感情が心を大きく揺さぶる瞬間であったりと。挙がった意見のうちいくつかに共通しているのは「自立心」ではないかと感じました。さまざまなタイプの友人たちと関わることで学生生活の中での個人のカタチを作っていくためのプロセスを手にすること。また社会や家族間といった組織の中での自分自身の足で立てるようになることはきっと、ひとりで出来ることが増えた証拠であり、そこに伴う責任や今まで見てこなかった世界を知ることも含め、確実に成長したという証であるはずです。

ここで、今年社会人になったメンバーに対して『社会人になって変わったことはあるか?』といった問いかけがなされました。これに対しては、やっていることはあんまり変わらない。時間が縛られているか否かくらい?であって、社会人と大学生ってあんまり変わらないのかもしれないということ。また任されることが多くなり自分ひとりでなしに、周りも巻き込んで解決しないといけないことが多くなったとのことでした。

重ね重ねにはなりますが、やはり大人になるのに明確なラインは存在せず少しずつ大人になっていくのではないかと改めて考えました。きっと自身が立つ舞台が急に広く大きなものへと変わったからといって一様に「大人になりました!」というわけでもなく、集団生活に溶け込んでいくのに必要なスキルを磨いたり、まったく別の価値観に触れたりし、だんだんと大人に近づいていくのではないでしょうか。相田みつをの言葉に「人生一生勉強」ともあるように、死ぬまでなにかを学び成長しながら暮らしていくのならば『完璧な大人』というのは、重ねた年齢や経験に関わらずほんとうは存在しないのかもしれません。

最後に、「大人って結局どういう人間のことか」というテーマを掲げました。大人を称するための必要十分条件は存在しない!と豪語しておきつつの議題にはなりますが。前述したように「大人」という呼称を相対的な評価としてとらえたとき、いかなる集団においてもそう呼べる人はどのような条件を備えているのか?その共通点について探りました。

・人と人とのかかわり、相手を想える。周りもきちんと見ることのできる人。

→バイト・選挙権など、そこに伴う責任感を負える人

…自分の責任は勿論、他人の責任をも負える人→会社での先輩後輩関係、親子間など

・自分で自由に選択できる人→自分で責任がとれるからこそできること!

・面白くない人。いろいろ考えこんだり、素で話せなかったりする相手。

 考えが凝り固まっている人

・何かを教えることが出来る人。

 歳うんぬんでなく、自分にない何かを教わった時「大人っぽいひとだな」と思う

・自分の行動に自分の意志が伴っている人。

 指示されていても「こうしたら良くなるのに」など、自分の意志が伴うひと

・ルパン三世の次元は「大人」だと思う。自分が思う大人な像

・感情の発現にともなう純粋さがあるかないかで変わってくる?

・泣くことへの慣れ。人の死に立ち会ったら泣くと思うけれど、もし戦時中の世にいたら慣れてしまって

 泣かないのでは。そこに人との付き合いの深い/浅いも関わってくる?

・生まれた感情を出すか、出さないかコントロールできるひと→最近アダルトチルドレンが増えている

 子供なら感情のまま泣いたりするけど、大人は子供に対して怒りがわいてもそれを封じることができる

・自分が湧いた感情を出してしまったらどうなるか?と冷静に見ることのできる自分を持てるひと

・人を許すことが出来る人

→なんで人をゆるせるのだろうか?共通点があぶりだせるかも

・物事にあきらめをつけられるひと。仕事、人間関係など、違った面で大人か否かが示される?

・感情と考えの関係性?

 考えに感情が入ってくることもある?


私は、先に出た意見のうち「泣くたびに人は大人になる」というのが印象的であったため議論の途中で「感情面との関係についてはどう考えるか?」といった問いかけをし、掘り下げていきました。

全体的にどちらかと言えば、自分から見て「大人っぽい」と思う人についての要素が多く挙げられたように思います。そのせいか周りを見ることができる、他人の責任を負える、感情の制御が出来るなどといった肯定的な意見が比較的多いと感じました。しかし一方で、面白くない、考え方が凝り固まっており素で話せない相手といったような、目指す対象とは言えないような意見も挙がりその点新鮮に思います。

これらのいくつかに共通して言えるのは、集団の中での自分を第三者的にとらえられる力ではないかと考えます。前述したように、私たちは家庭環境や会社、学校や部活動など日々さまざまな組織のピースとして動いています。その中で、今この瞬間の自分はどこに重きを置くべきか、何を優先すべきか、また目の前で起こっている事柄をどう処理するかについて、俯瞰的にとらえ整理できる人は少なくとも相対評価で「大人」と言えるのではないでしょうか。

私は今年二十歳になり、身体的にも精神的にも新たなステージへと進めた、否、進んだのではないかと感じています。はっきり言って19歳364日目の自分と20歳0日目の自分とで違いがあるとは思っていません。強いて言うなら法律上でお酒や煙草が許される、といったくらいで。

たかが1年、されど1年といえどもう10代ではないのだということを自覚したとき、いつまでに大人になりきらないといけないのだろうか、いつまでならこどものままで許されるのだろうかと思ったのが、今回のテーマ設定の背景です。

今後、大学生活の中でも後輩が増えたり、卒業後新たなステージへ立ったりすることで人間関係はさらに広がることだと思います。今回の議論を経て、今以上にさまざまな立場の中での自分を確立させ俯瞰的な視点を持つために、自分を構成する要素について見つめなおしたいと感じました。死ぬまでに「完璧な大人」にはなれないのかもしれませんが、胸を張って生きていける「大人」になれるよう日々学んでいこうと思います。また、ときおり自分の中の「こども」の自分も一緒に育てていきたいです。



次回のオンライン「対話すなっく」は11月17日19:00~です!!

今月はこの1回だけなので、ぜひご参加ください!!

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