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執筆者の写真学生企画 希望創発センター

第12回「学校教育の評価とは何か」

                           2020.9.8 18:00~20:00 Zoom

                                 文責 関上 瑞


今回の「対話すなっく」のテーマは、「学校教育の評価とは?」でした。日本人は自己肯定感が低いと言われていますが、その原因の一つは、成長盛んな時期を学校で過ごす中で他者評価を何の疑いもなく受け入れ、自己評価する機会がほとんどないことかもしれません。主観的な評価である自己評価の質を高めるためには、質の高い自己分析が必要なのではないかという疑問を抱いています。さらに、自己分析をする機会が受験か就活以外にないことが問題ではないでしょうか。このような考え方のもと、そもそも評価とはどのようなものなのかについて対話しました。

はじめに、小・中学校で受けてきた評価について語り合いました。

・関心・意欲・態度→謎(手を上げた回数)

 先生の主観?→授業中に寝ないことやよく意見を言う(グループ活動や授業中に)

・教職を取得している参加者の意見(専門的に見てみると…)

 →指導案を書くとき必ず関心・意欲・態度は入れる

A観点 授業に出席した

  主観とは言いながらも、事前にどのようなポイントを評価にするかを決めている

  →これは、予め学校が大まかな計画書を作成している

  国が1年生の評価基準を決めている

  校長と学年主任が国の年間計画書を見て、学校としてどのように評価するか決定

  学級の先生が1回ごと授業のやり方を決める

・人をみて評価を変える先生→性別で変える

・結局評価するのは人間の目

・定期テスト

 点数だけではなく、順位も出された

 →友達と比べて、順位が低かったら放課後呼び出しとか

・中学生から順位出てきた

 →モチベーションが上った、嬉しい

 →中学受験して、周りが勉強できた

  みんなは順位を共有しあい、点数が低い自分はみんなが気を遣って聞いてこなかった

・部活動をやっているかやってないかの差があった

 野球部は雑用をさせられる(卒業式などの式典)

 部活やってなかった→数字の評価に影響はなかったと思う

・生徒会活動や部活動の部長は評価の対象→推薦の高校入試などに効果的

・小学生の時の評価→うるさい、廊下を走る どこで評価している?

子供のイメージで評価?そのイメージとは「元気」や「大人しい」、「勉強ができる」など

低学年が○△×

高学年1〜5段階評価 5の人数は決まっている(相対評価)

・提出物で評価変える

なるほど...。小学校と中学校でも評価基準は異なっていますね。ただ、気になるのが「先生の主観」がどうしても評価に入ってしまっているように感じる。生徒全員が平等の評価を受けていたとは考えにくい。少し、モヤモヤしますね…。

 一方で、小・中学校では主に先生から評価をされており、いざ自己分析をしていたとしたら、本当に自己肯定感は上がっていたのでしょうか。私は、自己分析をしても、自己肯定感が上がるとは思いません。

 そこで次は、「自己分析したら自己肯定感は上がるのか」について対話しました。

・就活中、自己分析することで自己肯定感は上がらなかった

 義務教育課程で自己分析する機会がなかったから?

 小さい時から、自分の中でこれはできる!と言う自信があれば

 就活中になっても自信を持ってコミュ力あるって言える

 いま、人に言われないと自信を持てない

→今は考える知識が多いからそう思ってしまう。自分ができてもそれ以上にできる人がい

るから自信をなくす。一方、小学生は予備知識がないからできたらそれが自信につながる

・できたかできないかは、他人からの評価が、自己分析の根拠になる

 過去の経験や過去誰かに言われたことが、自己分析として引用されている

・就活中に大人と話して、自分に足りてないところや褒めてもらったことが自己分析になる

・IとMe

 自己分析するとき、第三者が思う自分のことを考慮する必要がある

 第三者も人によって変わる、その人が自分のことをどこまで知ってるかに左右される

・自分で自分の評価をする

 身の回りの尊敬できるひとと自分を比べる

 自分の良いところはたくさん出てくるから、足りないところを評価する

・第三者に評価されて、それに左右されるのは嫌

 その評価をちゃんと考えてから次の行動を考える

・尊敬している人が自分に対する評価も、他者と比較して評価するから、自分で比較しているか、または他者に比較してもらってるかの違い

・自分の良いところはたくさん出てくる

 自信がない部分も一緒に出て来てそっちに気を取られる

・ネガティブな要素は誰かに聞く

・自己肯定感はモノによる

 人間的な自己肯定感は自信がある→その辺の大学生よりは自信がある

→否定される怖さがない

 しかし、人間的には自信がある一方で、恋愛については経験が少ないから自己肯定感は自信ない→振られる怖さ、否定される

 周りに否定される環境は自己肯定感が低くなる

・恋愛における自分の良いところ

 恋愛の就職活動→誰でもいつでも→自信があればできる

 付き合えるか付き合えないかの自信?選んで貰えるかもらえないか

 面白い意見がたくさん出ましたね!

幼少期から自分が何に対して自信を持っているかを知ることで、その後もその自信が自己肯定感につながるという意見は、今回のテーマを考えた理由と同じように思います。また、自己評価は主観的評価であると思っていましたが、他者による評価の中から、自分が納得するものを取捨選択しているような気がします。「他者」と自分がどのような関係であり、「他者」がどのような考えを持っているかどうかに自己評価は左右されそうです。そう考えると、確かに、小さな頃から自己評価をする習慣があることで、「他者」が評価を適切に行ってくれる場合には、「質の高い自己分析」ができるようになるかもしれません。

学校の評価と自己肯定感の関係の次に、最後は自己肯定感がどのように生まれるのか、またそこには教師による愛情のある教育が必要ではないかという意見が出てきました。

・褒めることが教師として重要

 褒め方のポイント

 あなたが主語ではなく、自分を主語にして褒める

最大の自己肯定感を出す言葉が、I love you.

・あなたを褒める理由を伝えることが重要

100点取った行為自体を褒められると思わせないため

「褒めることもせず叱ることもせず、子供たちを愛しなさい」

子供たちを愛するだけでは評価はそもそも存在しない

ということは、現在の評価ってなに?

→その教えている生徒を愛さないと評価することがどうでも良くなりそう

 野球上手くなってほしいという思いがあるから教えらえる

先生はそこまで愛せてない?大学は特に。

先生と学生間の愛

・人1人が愛せる人数には限度がある

クラス40人全員に愛を持って接するのは大変

クラス人数は適正じゃない?

 先生から学生への愛が生まれたときに適切に評価される

・「必ず評価をしなさい」が法律で定められている

 そこに愛があるかと言われると難しい

 しかし、生徒が先生を好きかという部分が伝わってくる主観評価にもつながる?

・生徒一人ひとりへの愛ではなく、自分のお教え子に対する愛

15歳までの生徒への愛を難しいかもしれないけど持たなければいけない?

 生徒からどう思われるかは関係ない

・教員はビジネス的な愛情?

 →仕事に対する愛?

 仕事に対する熱量を愛と言う言い方にした

 教師の場合は、生徒をしっかりみて伸ばしてあげよう!と思わないといけない


愛があることで、生徒に対する熱心な指導や適切かつ平等な評価を行うことができるのではないかという理由から、教師から生徒に対する愛情は、どんなに少なくても必要であると考えている人が多いようでした。しかし、小学校から大学へ年が上がるにつれ生徒と先生の距離は遠くなり愛情も薄れるのではないか、この場合、評価に不平等さがあるのではないかという意見のようでした。評価する側からされる側への愛情の強さと評価の適切さの関係や、愛情のある評価により生徒の自己肯定感が本当に高まるのかなどなどまだまだ語り合いたい部分が多くありますね。


今回、学生7名で学校教育における評価とはそもそもどのような意図で行われているのかについて語り合いました。学校評価の話題から愛の話にまで発展し、大脱線してしまいましたが、そこもまた「対話すなっく」の面白さですね!

 次回の「対話すなっく」は、9月29日(火)です!テーマはお楽しみに!

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