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執筆者の写真学生企画 希望創発センター

2022年 第2回「当たり前」とは?

2022.5.26 18:00-19:30

2022年度 第2回「対話すなっく」

テーマ:「当たり前とは」


皆さん、こんにちは。

2022年5月26日に本年度2回目の「対話すなっく」を実施しました。テーマは「当たり前とは」で、ファシリテーターは宝金です。

「当たり前とは」というテーマは、日常の生活でも良く使う言葉で、あまり意味を考えずに使っている言葉ではないでしょうか。果たして「当たり前」は、どのような意味を持っているのでしょうか。Seekersメンバー11名による「対話すなっく」の内容を紹介していきます。


まずは、あなたにとって「当たり前」だと思うことは何?について対話した。

・ご飯を食べる (3回)

・寝る

・割り箸は割って使う

・朝、顔を洗う

・遅刻する際は、事前に連絡する

・挨拶をする

・太陽は東から西へ

・何かしら学校や会社に行く

・好き嫌いがある

・他人の考えていることがわからない

・外出するときはマスクをする

・悪いことをしたら謝る

・Tシャツは上半身に身に着ける

・他人を再起不能にしてはいけない

・時計は正しい時刻を指している

・多くの人は「再起不能」と漢字で書ける

・人はそれぞれ違う

・過去に戻ることができない

・他人を再起不能にしない範囲内で自分の自由を追求する権利がある

・人は法に縛られていない

・〆切は守る

・お金は大切

・服を着る

・教科書の記述内容は当たり前

・人は生きたいと思っている。


普段の日常生活から「当たり前なこと」を考えて色々な意見が出ました。多くの参加者が「当たり前なこと」を持っているようでした。しかし、この「当たり前」は、誰が決めたことなのでしょうか。


次に、「当たり前」は誰がどうやって決めているのか?について対話した。

・自分

・周りが言っていたから

・親

・その物自体が存在しているから

・物理的心理(自然が決めている)

・学者

・過去の人(経験や知見から)

・人が争わないように先人が築いてきた

・架空の存在が決めた(神)

・文脈(空気、流れ、雰囲気)

・人間の体の性質

・人間は「当たり前」を共有して生活する習性がある生き物

 →ホモサピエンス(噂話で広がる、目に見えない物を共有できる能力を持っている)


多くの人が、親や周りの人といった他人からの情報から「当たり前」を感じていました。また、自分が今まで経験してきたことから「当たり前」と認識していました。さらに、「人間」という生き物そのものが「当たり前」を持つ生き物であるという本能もあり、とても興味深く対話することができました。この問いから、参加者が「当たり前」と捉える過程が異なることがわかりました。次に、その際のメリット・デメリットについて考えてみました。


次に、「当たり前」になることで、メリットとデメリットについて対話した。

【メリット】

・人は争わない

・悩みが減る

・当たり前を共有することで人間は団結する

・考えなくていい

・行動を起こしやすい(無意識に行動する)

・未来に備えられる

 →人間は、多様性があることで予測不能なことが起きても助け合える

・文明が発達する

 →服という発明があったからこそ、パーカーというものが発明された

  (考えが積み重なっていく)

・自分を貫ける

・時間をつぶせる(暇な時間がない)

・時間を作れる


【デメリット】

・「こうしないといけない」という風に考えが凝り固まる

・違いが認められる

 →人と人、「当たり前じゃない」と思ったとき腹が立つ

・より良いアイディアにたどり着くまでに時間がかかる

・感謝することを忘れてしまう

・ルーツを忘れてしまう

・異議を唱えづらい


 ここで参加者の中から、デメリットはない。という意見が出ました。その理由として、「当たり前」であることが悪いことではなくて、「当たり前」と感じている内容が良くないのではないか?いう意見が出ました。この意見のとおり、「当たり前」があることに対するデメリットについて問いを立てましたが、深く追求していくと、「当たり前」と感じている内容について対話することになっているのかもしれないです…。

ここで、少し考えが深くなりつつあったので、次に、今までの発想とは真逆の質問をしてみようと思います。


次に、「当たり前」がない社会について対話した。

・予測不能で不安

・社会構造、組織が成り立たない

・人間が絶滅する

 →サバイバルゲーム(人間の本能として生存本能がある)

           →価値を共有することが人間の本能(自分は安全なもの)

・精神的な病は解消されていく

・違いが認められる。「当たり前」じゃないことが受け入れられる

・意外と変わらない?

・言語がなくなる?→その言葉の意味がわからなくなる

・学校にも行かなくなる

・当たり前がない社会はない?

 →生活すると「当たり前」になるのでは?


ここで、「当たり前」は3つに分類されるのではないか?という参加者からの意見がありました。「真理の当たり前」、「人間の体の性質の当たり前」、「社会に関わる当たり前」に分けられるのではないか。例えば、言語がなくなるとは、「社会に関わる当たり前」である。また、「当たり前」のない社会は、もしかすると存在しない可能性も考えられました。「当たり前」があるからこそ、我々人間は生きていけるのかもしれないですね。しかし、『「当たり前」だからそれでいい。』と正当化していいものなのでしょうか。最後に、「当たり前」について考えてきたからこそ、「当たり前」とは何かについて、振り返りながら対話しました。


最後に「当たり前」とは何かについて対話した。

・価値を共有することが本能

・自分が違うなって思っていたことが、結果的に自分の考えとしてまとまった

・「当たり前」」の尺度(捉え方)は人によって違う

・「当たり前」は自分の人権とほぼ等しい?

 →みんなの「当たり前」を共有することで、みんなの人格が似たような人格になっていくのでは?結果的に、世の中の社会は円滑に回る

・平和が当たり前→日頃の生活に感謝しなければいけない

・「当たり前」はあやふや

 →自分自身で勝手に苦しめている

・自分が作り上げてきた「当たり前」は、自分が経験してきたことが根底にあるから不動性がある。

・「当たり前」の産物はたくさんある

 →だからこそ、疑う必要があるのではないか?(無意識に「当たり前」と思っていることがたくさんある

 →しかし、「当たり前」を疑うことは難しい。

  →自分が「当たり前」を表現して振返る方法が有効ではないか?!

  →他人と話すことが大切(対話すなっく?)

 ・テーゼ (通説) ⇔ジンテーゼ (統合) ⇔アンチテーゼ (逆説) の関係に似ている。


今回のテーマである「当たり前」とは、「人間そのものが必要としていることであり、他人から教わったり、自分が経験した結果、「当たり前」だと思う」言葉でした。そしてこの言葉は、無意識にその物事を「当たり前」に捉えていました。だからこそ、「当たり前」であることを疑う必要があるのかもしれないです。

また今回の「対話すなっく」では、新しいメンバーが5名参加してくれたため、新たな発想を持った学生も多く、とても新鮮で面白い対話ができました。今後も引き続き、色々な学生さんと対話をしていきたいと思っています。ぜひ、皆さん気軽に参加してみてください。



次回の「対話すなっく」は6月15日18:00~朝倉キャンパスで開催します。

それでは、引き続きSeekersの活動をよろしくお願いします!!

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